最も評判の悪い動画(日本に原爆を落とした理由 ミアシャイマー)。伊藤貫氏の正体は、リアリストの仮面を被ったセンチメンタルなリベラリスト。

この動画を視聴して、チャンネル登録を外した人が13人いるが、その原因を考えてみよう。
通常よりもかなり多くのコメントが寄せられたが、そのほとんどが、この動画への批判であった。批判内容は、「原爆投下は人体実験の要素があったのに、そのことを否定するのか!」というものと、伊藤貫氏が批判されたことに対する怒りの感情を表明したものだった。
まず前者については、的外れな批判である。なぜなら、ミアシャイマー教授が説明しようとしていることは、「原爆投下の主目的」であって、それ以外の目的について説明しようとしていないからである(※それらを説明する必要性もない)。例えれば、交通事故が起きた時の原因を説明する時に、その主原因が飲酒運転であり、飲酒をしていなければ事故が起きていなかったと考えられる場合、その日の天候や車種等々に言及しないのと同じである。逆に言えば、原爆投下の主目的(戦争を早期に終了させるため ※当時の米政府は、原爆投下によって日本が降伏する可能性があると考えていた)となるものが他にあるならば、ミアシャイマー教授はそのことにも言及しただろう。その主目的が人体実験であるのにも関わらず、ミアシャイマーがそれを無視して、戦争の早期終結のために原爆は投下されたと主張することはあり得ないということが分からないのだろうか?(そのようなことをすれば、嘘を付いているということになり、学者としての信頼は失墜する)。実際、学術的に原爆投下の目的として考えられているのは、「戦争の早期終結>ソ連への示威」であって、「人体実験のため」というものはそこには含まれていない(※この動画を批判している人たちは、この現実を全く理解できていない)。だから、ミアシャイマー教授は「人体実験のために原爆を投下した」と説明することはないのである。「原爆投下は人体実験が目的だった。なぜそのことに触れないのか!」と怒っている人たちは、このようなことさえも理解できないのだ。もし、国際関係論から見た場合の原爆投下の理由ではなくて、人種差別について何か研究している人であるなら、原爆投下の目的の中に人体実験が含まれていたのかについて追及すればよいと思うが、それは、「原爆投下の目的」を説明するという国際政治学における話の中では必要ないことなのだ。これらのことを考えると、「原爆投下は人体実験の要素があったのに、そのことを否定するのか!」と怒っている人たちの思考能力がいかに低いのかが分かるだろう。知的障害があるのではないかと疑ってもいいレベルだ。また彼らの反応や伊藤氏の「原爆は実体実験のため」という主張には、全体の一部だけを殊更強調して、あたかもそれが物事の主原因であるかのように思い込むという陰謀論者特有(思考力の欠落した人間特有のと言い換えてもいい)の思考パターンがある。彼らは物事の全体を俯瞰して見る能力が著しく欠落している。
また、彼らが伊藤貫氏が批判されたことそのものに怒っていると言えるのは、彼らの多くは論理的に反論することなく、伊藤氏が批判されたことに怒りを表明しているだけだからだ(この動画の主張に論駁することができない)。伊藤氏を信奉する彼らにとって伊藤氏の発言が論理的で客観的であるかどうかはどうでもいいことなのだ。彼らは伊藤氏の発言をそのまま鵜呑みにして、賞賛するだけである。つまり、彼らは何も考えていないのだ。だから、批判内容がどのようなものであっても、彼らは伊藤氏が批判されただけで気に入らないということになるのだ。この動画を見れば、伊藤氏の発言の客観性のなさが理解できるはずだが、伊藤氏を信奉する人たちのその信仰心が揺らぐことはない。そもそも、国際関係論の専門家ではない人物の国際政治に関する発言(自論)を何の疑いもなく真に受けているということ自体が、常軌を逸しているのだが、彼らにはそのおかしさを自覚できる能力はないらしい。
また両者の根底には、「日本は原爆投下の被害者だ」という被害者意識がある。そのような被害者意識が生まれるのは、無政府状態の国際社会では、安全保障のために国家は冷酷な(非道徳的な)振舞いをする(せざるをえない)という基本的な理解に対する乏しさだろう(※このことは無政府状態ということの意味が理解できていないことを意味する)。無政府状態であることを考えれば、米国が戦争を早期終結させようとして、「非人道的」な原爆投下を行ったことも、日本がアジア地域に無謀な侵略戦争を行ったことも理解できる。無政府状態の中では人道上・道徳的に、問題があるからといって、安全保障を後回しにすることは不可能だからだ。
更に言えば、彼らも含めて日本人の多くが、小学生の時から、「日本は原爆の被害者(原爆投下は必要なかった)」という説明を(リベラル系の)教師から受けていることも、彼らが「原爆投下は戦争の早期終結のため」という説明に反発する理由だろう。もちろん、そのようなことを生徒たちに話している教師たちは、国際社会は無政府状態という概念を理解できておらず、リベラリズムの枠組みで国際社会を見てしまっている。別の言い方をすれば、頭の中がお花畑(人類は理性的に行動できるようになっていくという進歩主義)ということだ。そして、これは伊藤氏の主張と同じなのだが、リベラル系の人たちの主張と自称リアリストの伊藤氏の国際政治に関する見方が一致するのは単なる偶然ではない。一致するのは、伊藤氏は、実際にはリアリストではなく、リベラリストだからだ。当時の米政府が戦争の早期終結のために(+ソ連への示威のために)原爆投下が必要であると判断したことは、無政府状態下の国際システムにおいて、当然、導かれる非常にリアリズム的な結論であるのだが、伊藤氏の「原爆投下は必要なかった」(=原爆投下は人種差別に基づいた人体実験のため)という主張にはリアリズムを理解できないリベラル的思考が滲み出ている。伊藤氏は、「降伏の準備をしていれば」、交戦国がそれを信じてくれると考えているのだ(なんと甘い考え方だろう)。それは話し合いをすれば戦争は起こらないと主張しているリベラルの人たちと基本的な考え方は同じである。要するに、伊藤氏は、国際政治の構造がアナーキーであるということの意味が理解できていないのだ。国際政治のアナーキー構造を理解しているならば、伊藤氏のような甘い考え方が出てくるはずがない。「日本は降伏の準備をしていたのだから原爆投下の必要はなかった(だから、原爆投下の理由は人体実験のためだ)」という伊藤氏の非リアリスト的(話せば分かるじゃないかというリベラル的な)主張と、「日本は実質的に敗北していたが、戦争を止めると言わなかった(から米国は原爆を投下した)」というミアシャイマーの非常にリアリスティックな主張を較べれば、伊藤氏がいかにリベラルチック(センチメンタル)な世界観を持つ人物なのかがよく分かるだろう。伊藤氏は、「戦争を止める(降伏する)」と言わなかった日本が米国から見ればどのように映っていたのかすらも理解できないらしい(更に言えば、降伏すると「口で」言っただけでは米国は原爆を投下しただろう)。正真正銘のリアリストであるミアシャイマーは、伊藤氏のような甘えたことは言わない。伊藤氏の正体はリアリストの仮面を被った、センチメンタルなリベラリスト(※リアリズムに無理解であるという意味)である。伊藤氏(と多くの日本人)の「原爆投下は必要なかった(だから、原爆投下の理由は人体実験)」という主張は、リベラリストが共通して持つ、国際政治の残酷性に対する無理解ぶり(話し合いで国家間対立は解決できるというお花畑ぶり)と、ウォルツ以降の国際政治学に対する無理解ぶり(国際政治のアナーキー性を構造的に理解できない貧相な知識レベル)を抱えているということの動かしがたい証拠なのだ。そして、この二つの無理解が、氏の陰謀論(資本家が米外交を支配しているという陰謀論)や米中覇権争いで戦争を嫌がる米国の資本家の要請によって米国は覇権を中国に明け渡すという予測(※これはまさに、伊藤氏がバカにしている経済相互依存論と同じ)というハチャメチャな国際政治分析を生み出しているのである。そのような人物が「ミアシャイマーもそう言っている」などと言っているのだから開いた口が塞がらない。言っていることがもう滅茶苦茶である。そして、その信奉者たちが、そのような伊藤氏をリアリストであると勘違いし、その素人分析を称賛するという滑稽な光景が繰り広げられているのだ。