「ミアシャイマー」の思想・ネオリアリズムの国際政治学(YouTube)のブログ

リアリスト学派の国際政治学による日本の外交・国防、国際情勢の分析

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なぜ、有料化が必要なのか? & 資本主義制度下で文化の質が劣化する理由

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経済利益至上主義


今回の記事は、記事や動画を有料化する理由についてである。

このことは、日本の外交・国防政策とも深い関連がある論点でもあるので、それも併せて書いてみたい。

 

 

今回新しい動画(2時間47分、テーマは西部邁氏の意志を受け継ぐ)を制作したが、まず、そのコストと利益を計算してみる。

制作日数は30日で、食事など生活に必要なことを除き、起床してから就寝までの時間を全て投入した。

平均睡眠時間は3~5時間だったので、入浴・食事などの時間も加味すれば、一日の作業時間が17時間くらいだろう。

これを労働に置き換えれば、30日×17時間×時給1000円とすれば、約51万円である。


この動画をYouTubeで無料公開した場合、再生回数は1万回いくか行かないか程度なので(10万回になることはあり得ない)、再生単価は0.1円~0.3円(単価は時々で大きく変わる)で、最大でも3000円にしかならない(仮に10万回でも最大3万円である)。

もし、この動画を無料公開すれば、この動画を制作することによって、50万円以上の所得を得る機会を喪失したことになる。

50万円以上の自腹を切りながら、この動画を制作したと言い換えてもよい。

動画制作中は、その作業に忙殺されるので、所得は得られず、動画を作るたびに貯金が減っていくという事態になっている。

無料公開を続ければ、いずれ経済的に立ち行かなくなるということである。

つまり、広告収入に頼ると、経済的に破たんする。


一方、有料化した場合、50万円のコストは回収できないだろうが、500円で販売したとしても、100人に購入してもらうだけで、5万円になるのだから、最大でも3000円しか得られない広告収入に比べれば、はるかにましである。つまり、制作者側から見れば、無料で公開する経済的なメリットがほとんどない(宣伝のために一部を公開することはあっても)。

「無料で動画を公開しろ」と言われることは、「餓死しろ」と言われていることに等しい。

 

次に、なぜ、このような状態が引き起こされるのかを考えてみる。

ここでの論点は、(仮にその動画の質が優れているものであったとしても)「再生回数が少なくなる理由」である。

広告収入を増やすためには、多くの人に見てもらう必要があるが、そのためには、多くの人々から支持(賛同)を得る内容にする必要がある。

なぜなら、人々は、自分が見たいものを見る(見たくないものは見ない)からである。自分が支持しない内容のものを見ようとはしない。

ここで扱うテーマは「自主核武装による米国からの独立」や「中国批判論者やユダヤ陰謀論者や理想主義者」への批判などであるが、これらは、日本人の99.99%が正しいと思い込んでいる(ネトウヨの)親米思想と(リベラルの)平和主義を批判することになるので、ここでのテーマが多数の支持を得られることはない(日本の大多数を敵に回してしまう主張をしている)。

YouTubeで、対米従属(=日米同盟=親米保守)や中国批判やユダヤ陰謀を支持する内容の動画と、伊藤貫の動画の再生回数を比較してみても、前者の視聴者数が圧倒的であることが分かるだろう。親米保守思想の虎ノ門ニュースの帯番組が連日50万の視聴回数を稼いでいるのを見れば、(右の)日本人が何を支持しているのかは一目瞭然であろう。
右の人たちは、番組で中韓の悪口を言いさえすれば、大喜びする人たちである。

人間というものは、自分が正しいと信じるものを批判されると、不快になる。自分を不愉快にさせるものを見ようとは思わない。

その結果、十分な視聴回数を得られないから、十分な広告収入を得られないという結果になるのである。

 

ちなみにここのブログに広告を付けてからの二か月で得られた収入はわずか400円程度(先月は100円、今月は300円)である。仮に、アクセスが10倍に増えたとしても(※その可能性はほぼない)、一か月で2000円にしかならない。

400円という報酬は、記事を書くために集めた資料(伊藤貫氏の論考が掲載されている雑誌など)の購入費用や、記事を書くために使った労力に全く見合っていない。

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今月は300円。先月は、100円。


また、YouTubeは、「物議を醸す話題」には、広告掲載の許可を出さないという方針なので、広告収入自体が得られないというリスクが常にある。特に、ここで扱っている核武装などのテーマは、「物議を醸す話題」に該当してしまう。実際に、過去、アメリカ批判、「このままでは中国に併合されるという内容」、広島・長崎への原爆投下を批判した動画、アメリカが日本の核武装を妨害しているという内容の動画は、広告収入の許可が下りなかった。

要するに、仮に内容の良い動画を作ったとしても、広告収入が0円になる可能性が低くないということである。無料公開すれば、完全なただ働きになる。


そして、このことは、「広告収入を頼りにすることは、それと引き換え、言論の自由を失う」ということも意味している。広告収入に依存すると、広告主に配慮して、主張すべきことが主張できなくなるのである。


以上、述べたことを考えれば、このテーマ(自主核武装による日本独立)で、お金儲けすることは、不可能である(需要自体が少ないのだから十分な広告収入も得られない)。
もし、政治・思想の分野でお金儲けしたいのであれば、中韓罵倒(中韓の悪口を書いてるだけ)で、毎年、本を出版している商売保守の言論人のやり方を真似ればよいだろう。
右の人たちは、中韓が嫌いなので、その悪口を書いているだけで、大衆は大喜びするから、金儲けできるのである。
 

有料化に対して、不満を言う人が少なからずいるが、その人たちは、このような事情が理解できていないのだろう。つまり、彼らが無料で見ようとする(お金を払おうとしない)ことによって、クリエイターが生活できなくなるから、結果的に、彼らはそれを見ることができなくなるのである。もしくは、作られる物の質が落ちる(労力がかけられなくなったり、広告を掲載してもらうために主張すべきことも控えるようになる)。
彼らは、自分たちの浅はかな考えが、自分たちの首を絞めることになっていることが自覚できない。

 

更に、この論点に関連するのだが、資本主義制度(民主主義制度)においては、文化の質が劣化するということを論じてみたい。

 

資本主義制度(民主主義制度)が始まる前の身分制(貴族制)の時代には、芸術家や学者は、少数のパトロンに経済的に支えてもらいながら、活動していた。つまり、その時代の芸術家や学者は、パトロンの意向にだけ配慮すれば(※好きなものを自由に作ればよいと言っていたパトロンもいただろう)、自由に自分が作りたいものを作れ、したい研究が自由にできたのである。

 

しかし、資本主義制度になると、「市場で価値がある(売れる)」ものを作らないと、芸術家や学者は生活できなくなった(補助金ももらえない)。そして、市場で売れるものというものは、大衆が支持するものである。

そして、大衆は、複雑なものや、(高度な思考に基づく)高尚なものを理解する能力がないので(※大衆のほとんどがそのようなものを理解できるなどということはあり得ない!)、大衆から広く支持されるためには、大衆が容易に理解できる単純で、低俗なものを作る必要がある。

その結果、学者や芸術家は、大衆のレベルに迎合し、彼らが作り出すものの質は劣化していくのである。

 

伊藤貫氏によれば、1922~1939年の欧米において、「最も知的レベルが高い言論誌」と評価されていたT・エリオットが主催していた雑誌の定期購読者はわずか800人だったそうである(参照 クライテリオン 2018.5)。
いくら質が高いものであっても、大衆はそれを理解することができないのである。


科学者は別として(先端科学はお金になるから、資本主義体制下で発展する)、哲学や思想などの人文科学系の質が、近代に入って劣化しているという背景には(歴史に名を遺すような優れた哲学者や思想家は、ほとんど近代以前の時代の人たちである)、そのような事情がある。

そして、民主主義制度というものは、機会平等主義でもあるので、立身出世やお金儲けをすることが素晴らしいという価値観へと社会が変化するので、資本主義を加速させ(売れないものは見向きもされなくなる)、ますます、大衆迎合が酷くなるのである。


最後に、この問題(資本主義制度化では文化の質が劣化する)を外交・国防政策の面から見てみよう。

このような文化(思想・思考力)の劣化は、政治家や官僚などの思考力の劣化も引き起こす(政治家のブレーン的存在の知識人も劣化する)。その結果、エリートたちが、浅い思考力に基づいた外交・国防政策を作り出すということになる。

すでに記事にしたが、山本太郎が「経済相互依存論が国防政策である」と主張しているのは、その典型である。浅い思考力しかないから、「金ですべてが動く」というような浅はかな考え(軽薄な価値観)に基づいた政策を正しいと考えてしまうのである。精神医学の基礎的な知識(人間がどのような本能を持った存在であるのか)だけでもあれば、人間は金銭欲だけで動くような単純な生き物ではないことは自明だから、経済相互依存論を国防政策として掲げるというような恥ずかしいことはできない。

「経済相互依存が国防政策です!(=すべては金で動く)」と声高に叫んでいる政治家が存在するのは、おそらく日本だけではないだろうか?
そして、おそろしいことは、山本の主張を「おかしい」と支持者が疑問にすら思わないことである。

左だけでなく、右の思考力も劣化している。

対米従属という安易で危険な国防政策を選択し(その危険性を全く認識していない!)、(何の知的生産性もない)中韓の批判に明け暮れる右の人たちも、経済相互依存論を信じ込む左と同じく、思考・知的レベルが極めて低い。

恐ろしいことは、右も左も、自分たちの、その惨めで醜く、低能な姿を自覚できていないことである。自分たちのその姿を認識できないから、その誤った考え方や姿勢を改善しようという意欲すら持てない。

それだけ、日本人の価値観と思考力が劣化しているということであろう(功利主義で思考力なき日本人)。

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