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リアリスト学派の国際政治学による日本の外交・国防、国際情勢の分析

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小学生でも理解できる「核抑止力」

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今回は、核抑止力の意味を考えてみることにしよう。

抑止力というものを理解するためには、警察官を例に考えてみると分かりやすい。

 

日本の警察官は、なぜ拳銃を所持しているのであろうか?

 

例えば、包丁を持って誰かを刺そうとしている人がいたとする。警察官は治安を守るのが仕事なので、この人から包丁を取り上げなければならない。

 

包丁を取り上げるための手段として、警察官が持つべき武器は何が良いだろうか?

 

とりあえず、警官が包丁を所持すれば、包丁を使用して犯罪を行おうとする者は、そのようなことをすれば、警官に刺殺されるかもしれないという恐怖を持つようになるので、包丁による犯罪に対する抑止になると言えるだろう。しかし、包丁に対して包丁では、警官が、相手から刺されてしまうリスクも高い。だから、警察官が包丁で武装しても、包丁で武装した犯罪者を抑止しきれない。ゆえに、警察官は、治安を守るためには、包丁よりも優れた武器を持たなければならない。

例えば、槍である。槍を持てば、その犯罪者が包丁をいくら振り回しても、槍を持った警察官には勝てない(包丁の刃先は槍を持った警察官に届かない)。警察官が槍で武装すれば、犯罪者は、「包丁を使って犯罪行為を行えば、警察官に槍で殺される」という恐怖を感じるようになるだろう。その結果、犯罪者は包丁を使用することを躊躇(ためら)うようになるのである。

しかし、現実には、犯罪者の中には、包丁だけでなく、拳銃を持っている者もいる。

だから、警察官は、拳銃を持った犯罪者を抑止するために、槍ではなく、拳銃を所持する必要がある(拳銃という武器は、槍の刃先が届かない距離から、相手を撃ち殺せる武器だから、槍では拳銃を持った犯罪者を抑止できない)。

 

拳銃よりも優れた武器は、例えば機関銃であるが、日本国内で拳銃を所持する犯罪者の数よりも、拳銃を所持する警察官の方が圧倒的に多いので、警察官が機関銃で武装しなくても、数の上で、犯罪者を圧倒することによって、犯罪者の銃犯罪を抑止できている。仮に犯罪者の多くが機関銃で武装するようになれば、日本の警察官も機関銃で武装する必要が出てくる(※ブラジルなどの治安の悪い国では警官が機関銃を携帯している)。それでも抑えきれなければ、自衛隊が出動するという体制で、犯罪者に対する抑止力が維持されるだろう。


要するに、少なくとも、攻撃してくる相手が持つ武器と同等以上の攻撃力を持つ武器をこちらも持たなければ、相手の攻撃を抑止することができないのだ。

 

これが、抑止力の意味である。

 

核抑止力についても、基本的に同じである。

上にあげた例と同様に、相手の核に対しては、こちらも核で抑止する以外ない。

核武装した国に対して、いくら高性能な通常兵器を充実させて対抗しようとしても、それは拳銃で武装した相手に対して、包丁や槍で戦おうとするのと同じであるから、通常兵器では、核武装国の核攻撃を抑止できない。

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バランスオブパワー

 
このことについて、より理解を深めるために、具体的にシュミレーションしてみよう。例えば、北朝鮮軍が対馬に軍事進攻し、それを自衛隊が攻撃し、戦いを優勢に進めていたとしよう。しかし、その時、北朝鮮から「自衛隊が降伏しないと、東京に核ミサイルを撃つぞ」と脅されたら、核を持たない自衛隊は降伏する以外に選択肢がない。なぜなら、自衛隊が、この核恫喝を無視して、降伏せずに戦闘を継続すれば(自衛隊が、北朝鮮軍を撃破し、北朝鮮の兵士をたとえ数千人殺したとしても)、その報復で、核を東京などに撃ち込まれて、数千万人の日本人が死亡するという結果になるからだ。数千人の敵兵の命と引き換えに、自国民数千万人を殺された上に、東京という日本の中枢都市を灰にされたら、まったく割に合わない。核を持たない日本の自衛隊は、どれほど高価で高性能の通常兵器を持っていても、貧国の北朝鮮軍に敗北するのである(※北朝鮮は日本に軍事進攻しようと思えば、いつでもできる状態ということなので、これは極めて深刻な事態だが、日本人のほとんどは理解できていない。それどころか、呑気に、北朝鮮を馬鹿にしている)。

 

しかし、だからといって、例えば、中国に対する核抑止力を日本が得るために、核大国の中国と同量の核を保有する必要はない。なぜなら、核というものは、一発であっても一つの都市を灰にできるほどの威力のある兵器だからである。日本の潜水艦30隻に核ミサイルを10発ずつ搭載しておけば(この費用はGDPのわずか0.1~0.2%である)、半分を沈められたとしても、150の都市を灰にできる(中国軍には、日本の潜水艦の半分以上を撃沈できる能力はない)。このような核攻撃力は、中国やロシアの政治指導者に、日本への核攻撃を思いとどまらせる力がある。つまり、少量の核でも、核大国の核攻撃を抑止できるのが、核兵器なのである(※これは非対称性と言われる)。

 

もし、核兵器以上の破壊力を持つ新兵器が生まれたら、他国はその新兵器を持とうとするだろう。しかし、現在は核兵器が最強の兵器なので、核兵器保有することが、核兵器に対する唯一、かつ、最高の抑止力となるのだ。核兵器以上の破壊力を持つ兵器はこの世に存在しないのだから、核兵器以上の抑止力を持ちたくても、不可能である。つまり、核兵器に対する、最大の抑止力の確保とは、自ら核武装することなのである。

そして、すでに述べたように、潜水艦に搭載した核ミサイルはすべて破壊されることはないから、核ミサイルを搭載した潜水艦を所有する国に、核攻撃を行った国は、必ず核報復され、国家が崩壊する危機に見舞われる。先に挙げた警官の例で、包丁を所持する犯罪者に対して、包丁で武装しても、警官が犯罪者に刺される可能性も高いから(警官が犯罪者に刺殺されたら、警官は犯罪者を刺殺して抑止することが物理的にできなくなる)、犯罪者を抑止できる効果が低いと述べたが、核兵器の場合は、包丁の例とは違い、相手に核攻撃をされても(=包丁で刺されても)、必ず報復できるので、核に対しては、(潜水艦に搭載した)核で武装しさえすれば、相手に対する抑止力を持てるのである(英国とフランスはこのような考え方に基づき、核武装をしている)。

リベラル思想の人からは、「話し合いで相手国の核攻撃(or核恫喝)を抑止すればいい」という反論があるかもしれない。

しかし、「国際社会は、強国の犯罪行為を取り締まる国際警察軍が過去も現在も存在しない無法地帯である」という否定できない現実を理解しさえすれば、話し合いでは、相手からの核攻撃(or核恫喝)を抑止できないということは明らかである。この事については、下記の記事に書いている。

uipkmwvubg9azym.hateblo.jp

 

ここで、「日本は核武装していないが、米国の核の傘に守られているから、核武装しているのと同じだ」という反論をしたい人もいるだろう。このことについて簡単に説明しておこう。

確かに、自主核を保有していない日本は、日本を包囲する核武装国(露中北)などからの核攻撃(核恫喝)に対する抑止力を自分で持っていないので、自ら核武装する代わりに「アメリカの核に依存することで、抑止力を確保している」ということになっている。すなわち、「もし日本が核武装国から核攻撃をされたら、その核報復を米国が行ってくれるので、米国からの核攻撃を恐れて、核武装国は日本に対する核攻撃を行わない」ということになっているのである。そして、「日米安保条約で、この核の傘(=日本を核攻撃した相手国をアメリカが報復核攻撃する)を日米間で約束している」ということになっている

 

しかし、結論だけを述べれば、アメリカから提供されているということになっているこの核抑止力(核の傘)は、実際には機能していない。その理由は、米国が日本のために核を使用する可能性は0%だからである。つまり、アメリカの核の傘は張子の虎に過ぎず、日本は武装した強盗に取り囲まれているのに、丸腰の状態でいるのと同じなのである。このことについて、詳しい説明は今回の記事では省略するが、核の傘に関する知識人の発言と歴史的なエピソードを紹介しておこう。これを読んだだけでも、「米国が日本のために核を使用する可能性は0% 」という意味が分かるのではなかろうか?

 

核の傘はジョーク。フランスが、ドイツのために核を使用することなどありえない。核は自国を守るための兵器である」 (エマニュエルトッド)

 

ドゴール仏大統領が、ケネディ大統領との一対一の会談で「フランスがソ連から核攻撃を受けた時に、アメリカはソ連に核報復してくれるのか? アメリカはどのようにしてソ連に核報復するのか? それを説明してくれ」と問い詰めた時、ケネディーは顔面蒼白になり、何も答えることができなかった。ドゴールは軍事学に詳しく、核の傘の欺瞞性も見抜いていたから、議論の中でケネディーを論破できたのである。

File:President Kennedy and President De Gaulle at the conclusion of their talks at Elysee Palace, Paris, France.jpg

Charles de Gaulle & Kennedy from wikipedia



その後、フランスは米国からの妨害にも屈せず核武装を成し遂げた。ちなみに、ドゴール・ケネディ会談は、今から、60年も昔の出来事である。 日本政府や官僚はいまだに、米国政府と核の傘の信ぴょう性についての議論を米国政府と一切しておらず、日本の言論人もこの議論から逃げ続けている。日本の核に関する議論はフランスから60年も遅れているということになる(ドゴールがケネディに対して行ったのは、米国の核の傘の信憑性に関する『議論・追及・問いただし・詰問』、である!)。フランス人は「アメリカの核の傘はジョークである」と60年前に結論付けたのに、日本のエリートたちは今だに、「米国の傘(というウソ話・ジョーク)」を大前提にして(を信じるふりをして)、日本の国防政策を議論し、決定している。このような信じられないような猿芝居が日本国内で平然と行われているのだ。この猿芝居を日々見せられているのが、何も知らない日本国民である。この間の抜けた光景を見て、米中の高官は、日本人を軽蔑し、高笑いしていることだろう。

そして、日本のエリートたちが、そのような売国的な振る舞いを続けているのは、アメリカ政府に睨まれるのが怖いからなのだ。彼らは「核の傘は嘘」ということを理解しながら、現実には存在しない「核の傘」を前提にして議論を行い、国防政策を決めているのである。彼らは、米国の核の傘(←ジョーク!)を前提としたMD(ミサイル防衛システム)などが、現実には役に立たない兵器だと分かった上で、そこに国民の血税を注ぎ込んでいる。この血税アメリカに流れている(まさに、日本はアメリカのATM!)。日本のエリートたちは、米国に金を貢ぐために、猿芝居を演じているのである(米国に金を渡す理由付けのために芝居を演じ続けている!)。この事の真相を知れば、怒りを覚えない日本国民はいないだろう。

※実際には役に立たないミサイル防衛なのに、「役に立つ」というふりをし続ける日本政府。このサル芝居を中国も当然理解している。日本人は米国という牧場主に飼われた家畜の群れと同じである。

www.sankei.com

 

 

そして、日本のエリートたちが日本国民のためを考えて動いてくれているというのはありもしない幻想である。そのような幻想を信じれば、我々は10年後に地獄を見る。彼らが核の傘の信憑性の議論すらしようとしていないという現実は、日本が核武装実現のためのスタートラインにすら立てていない状態であることを意味する。つまり、彼らは核武装に向けて"一歩も"動いていない(※彼らは核武装に向けて動くどころか、そこから逃げ出している!)。


我々は、この日本のエリート(政治家・官僚・言論人)たちの無責任なふるまいを批判し、その間違った姿勢を改めるように働きかけなければならない(※いくら中国批判をしても、日本の核武装が実現することは絶対にないから、中国批判は時間と労力の無駄にしかならない)。彼らを核武装へと動かすことが我々の使命であり、それは十分に実現可能なことなのだ。