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リアリスト学派の国際政治学による日本の外交・国防、国際情勢の分析

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山本太郎はデマゴーグ(嘘で大衆をたぶらかす)② 「竹中平蔵と山本太郎は同じ穴の狢(二人の価値観は同じ「金が全て」)」

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山本太郎のホームページより引用

次に、この理論を声高に主張することから見えてくる、山本太郎が持つ価値観(哲学)についてである。

すでに述べたように、まともな国家というものは、経済的利益だけで動かない。つまり、経済的利益だけでなく、というよりか、それよりも、むしろ国家としての威信(プライド)、復讐心、覇権欲などの、目には見えない価値を優先して、外交・国防政策を決める(戦争などを行う)存在なのである。だから、山本太郎が、「経済相互依存論が正しい」と叫ぶということは、そのような目に見えない価値というものを全く考えていないということである。

このことは何を意味しているのであろうか?

山本太郎は、「国(人々)というものは、金だけで動く」と考えているということである。つまり、山本太郎の価値観とは「世の中、全て金である」というものなのだ。そこには、「経済的利益などの物質以外の価値が人間にとって重要である」という価値観が欠落している。「人間にとって大事なものは、金よりも形而上の価値である」という価値観を、もし山本が持っているのであれば、「経済相互依存論(金ですべては動く)」という理論を信じることなどできないから、「経済相互依存が日本の国防政策です」などと言えるはずがない。

 

山本太郎は、竹中平蔵の金の亡者ぶりをしばしば批判しているが、このように山本の価値意識を見てみれば、「金がすべて」という価値観の竹中平蔵と、実は同じ穴の狢であることが分かる。山本太郎には竹中平蔵を批判する資格などないのに、竹中を批判している姿は滑稽である。山本は竹中と同様の軽薄な価値観に染まった人間であることを自覚できないのであろうか?

 

そして、このような「金がすべて」というような底の浅い(奥行きのない)価値観は、深い思考を不可能にする。浅い思考しかできない国が、深い思考をする国に敗北するのは当然である。つまり、金が全てという一元的な価値観しか持てない国は、「金も大事だが、(目には見えないものだが)国家としての威信(など)も必要」という価値観が多元的な国よりも、思考力で劣るのである。だから、前者の戦略(国防政策)も、後者のそれよりも、劣ったものになる。その結果、前者は後者との国家間の争いで敗北するのである(その結果、植民地にされる、戦争で蹂躙される、併合されて消滅する)。

その証左として、日本の国防政策は、対米従属(※覇権安定化論も含む)か、経済相互依存のどちらかという、弱肉強食の原理で動く現実の国際社会では役に立たない、思考力の浅い、間の抜けた防衛政策しか出てこないのである。

 

山本太郎は、国家が存続し続けるために必要な三要素(「経済力、軍事力、国家としてどのような価値の実現を目指すのか=国家としての哲学」)のうち、経済力しかないという、日本という国の底の浅さの象徴である。それは、山本太郎だけではなく、ほとんどの日本のエリートたち(政治家・官僚・言論人)にも当てはまる。

 

「3つの要素のうち、経済しかない日本は、3本足のうち、1つだけしかないという精神障害国家」(伊藤貫)

 

そして、日本の99.99%の人たちは、この「金がすべて」という貧困な価値観(マテリアリズム)に毒されているから、この山本太郎の奇妙な主張に対して、「おかしい」と感じることすらもできない。

 

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