天安門事件外交文書(日本政府が中国を擁護)が意味すること①(日本には外交主権はない)
この当時の基本的な全体図(構図)を理解するためには、まず下記の2つのことを認識しておくことが重要である。
一つ目は、1989年の天安門事件当時(※大統領は父ブッシュ)の米国の対中政策は中国宥和政策(ソ連のように敵対し封じ込めるのではなく、中国との友好関係を深めていく)だったということ。
だから米政府は天安門事件が起きた後でも、中国と敵対せずに関係を継続(=中国の経済発展に協力)すれば中国はやがて民主主義社会へと変化し危険な国ではなくなると考えていた。
二つ目は(軍事を米国に依存する)日本には外交主権はない(アメリカの言いなり)ということ。
つまり、日本は米国の外交方針に反するようなことはできないし、米国の外交を主導するような権利など与えられていない。
この2つのことから下記の結論が導かれる。
「中国を擁護する」という当時の日本政府の方針は米国の対中政策と一致しているが、それは日本の自主外交の結果ではなく、米国の意を受けたものである(控えめに見ても米国の意図に忖度したものである)。
中国を国際的に孤立させることは米国の対中政策に沿わないが、米国は自由主義と民主主義を国是に掲げる国だから、かといって天安門事件で中国を擁護する発言も政治的にはできない。
「そこで、配下の日本に中国擁護発言をさせることによって中国を孤立させないようにした」のである。
今もこの当時と同様、日本の米国への軍事的依存は変わらないままだから、日本の外交主権は失われたままである。